長い感想

長い文章はこちらに書きます

このブログについて&映画「LIFERS」感想

前回の「トークバック」感想を書いた時はとりあえず書こうという気持ちで書いたので、後出しになってしまうお断りで申し訳ありません。
私が観たり読んだりするものは人によっては重い内容のものが多いと思います。
フィクションの重いものはあまり観たり読んだりしませんが、ノンフィクションやドキュメンタリーの重いものを観ることが(今現在ですが)多いです。
なぜそんなものを観たり読んだりするのかと言われると、そこに私が知りたい答えのヒントがあると思っているからです。答えを期待して作品を選ぶよりは「なぜかこれが気になる」「この人の作品はなぜか惹きつけられる」と思い観てみると、予想してなかった問いや答えを示されたりします。
この内省の時間は私にとって大事な時間です。

というわけで、
内容に伴って感想が必然的に重くなるかと思います。
重い文章を読むことでつらくなる方や傷つく方もおられると思います。申し訳ありません。
重いかも!と思われましたら閲覧注意、読まない方向でよろしくお願い致します。


f:id:oyatubu:20200310153618j:plain

改めまして
シアターセブンさんで坂上香監督「LIFERSライファーズ-終身刑を超えて」を観てきました。
坂上香監督作品はこれでコンプリートいたしました!
「プリズンサークル」「トークバック」「ライファーズ」の3作品を観て共通して思ったのは、私はこの登場人物たちとなんら変わらない、傷ついて人を傷つけた人間で、ただ社会的に捕まっていないだけだということ。登場人物たちは人間の暴力の連鎖を断ち切り、傷ついた心を癒やそうとする、私もその姿を見ながら自分の傷が癒やされていくように感じた。辛いながらも暖かさを感じたのは、作品が癒しによる希望にあふれていたからだろう。

観ていて頭をたくさんのことがよぎった。終身刑の受刑者たちは「アミティ(民間の団体/更生プログラムを運営している)」のプログラムによって「サンクチュアリ(安全な場所)」を作る必要があることを知る。
アミティの講師たちがすごい。心に必要な成長のプロセスをはっきりと口に出し実践に落とし込んでいく。
私は「空気を読む」というのがとても苦手で、村八分トラウマもあり「周りがだまっている=裏で良くないことが起こっているかも、、」と悪い反応が起こりがちなので、外国のプログラム特有の「はっきり言葉で説明する」場面に頭がすっきりしていく。
講師のナヤ・アービターが「なぜそれが起こったかを知ることが大事」という内容のことを話すシーン。頭の中で大学で心理学の授業を受けた時のことを思い出す。心理学の授業で自分の心の不安定さを表す言葉を知った時、大きな安堵感を覚えた一方「あ、これ探求しなくてはいけない課題だ」と直感した。その思いが今に繋がっている。

レイエスの仮釈放を問うシーン。遺族の「許さない」という気持ちを知った時、私が許すのに随分時間がかかった人、そして私が許されていない人を思った。
坂上香監督を知ったのは、同じくドキュメンタリー映画を撮る森達也監督の書籍「それでもドキュメンタリーは嘘をつく」の中に登場されていたことでなんとなく名前を覚え、その後「プリズンサークル」の予告を見たときに名前に覚えがあり、本を確認したらあの坂上香監督だったので観る気になった。
「プリズンサークル」に感動し買ったパンフレットで監督の経験を告白している文章を読んだとき「私とまったく一緒だ」と思った。私もやり場のない怒りを弟にぶつけ、ひどい虐めをしたことがあった。自分のしたことが忘れられず重たい思いを持ち続け、数年前参加していた自助会で謝罪のプログラムを知り、勇気を出して弟に直接謝った。弟は笑いながら「許さへんで」と言った。
謝罪してわかったのは、許してもらうことが大事なのではなく、「謝罪をする、し続ける」ことが大事なのだということだった。
一方でつい最近まで許せなかった親族がいた。もう故人で会うこともない方が、なぜだか長い間許せず、親戚同士の集まりが苦痛で仕方なかった。自助を離れた後、プログラムは必要だと思いホ・オポノポノをやってみたり、いろいろやって今は自然と怒りから心が離れている。どうしてかはわからない。これはまだもう少し内省が必要な気がする。

自分がとほうもなく傷ついてしまうことが起こるなど、誰が予想できるだろう。自分がどれだけ傷ついているかをはっきり見ることはできない。ただ、感じてしまったら傷が大きかろうが小さかろうが、やれることをやってあげたい。癒やしていきたい。


大きなテーマとして、「謝罪」と「赦し」という言葉が浮かんだ。私はどれだけできるだろう。

映画『トークバック』感想

f:id:oyatubu:20200307181143j:plain
シアターセブンさんで坂上香監督「トークバック」観てきました🎥
最新作「プリズン・サークル」の上映前の予告編「トークバック」がよすぎて絶対観ると決めていました。

発達障害の影響が少しあるかと思いますが、私は自分が女性であることに、変な話自信がありません。
お花より草が好き、可愛いものより機能的なものが好き、恋愛の話は正直苦手、理屈っぽく雑談が苦手、男の子のような体格。。
自分を女性だと自信をもって言えない自分に、女性を感じざるおえない映画を見るのは妙なプレッシャーをかけるようで力がいるなぁ…とも思ったのですが、予告編の強烈な引力は「大丈夫!ちゃんと見れるよ!」と背中を押してくれるようでした。

「沈黙は私を守ってはくれなかった。」-オードリー・ロード(詩人)
はじまってすぐ、カサンドラの強烈な魂の強さに心を奪われる。ローデッサのカリスマ性、自分も舞台にたってみたいと思わせてしまう言葉掛けの素晴らしさ。
田舎で育ったマルレネの話を聴くたびに自分の経験が重なる。

私は今住んでるところでは想像できないような小さな村で育った。マルレネの言うとおり、一人が知れば全員に知れ渡ってしまう、狭くて閉鎖的な世界。汽車のある隣町には子どもの足では到底たどり着けないほど遠く離れていた。今でも田畑と道の中でどこに行けばよいのかわからない夢を見る。
閉鎖的な社会で変わり者と思われることは死を意味することだ。私は遅れて入った保育園(社会)で静かに絶望し、一つしかない小学校で村の人からあらぬ噂を立てられ家族ごと村八分になった。やがて誤解はとけたが心の傷は残ったままだった。土地を離れても、他人への心の開き方がわからないまま、中学生になる前にストレスからナルコレプシーを発症し、社会に出ても障害に悩まされた。

「このまま生きるのはもう無理」
大学で都会に出てきたとき、はじめて真正面から自分の不調をなんとかしようと取り組んだ。
あれから20年弱、さまざまな治療のはてに、やっとフルタイムで働けそうな体力を手に入れた時に気がついた、自分の心が止まっていた時間に対する絶望。歳だけとって人との繋がりのない心。今だに残る恐怖。

だが、映画の女性たちは「人生は必ずやりなおせる!」と叫ぶ。どんなに酷い目にあっても踊る、叫ぶ、今を全力で楽しむ。
回復し輝くカサンドラを次女が「母は成長しました」と讃えるシーン。だらだら泣いてたけど、ここで思いっきり泣いてしまいました。家族のことを一人の人間として心から讃える。すごくいやな思い出もたっくさんあっただろう、でもこの人たちは今をきちんと見つめている。

ソニアの舞台を見に来た友人がソニアを讃えるシーンも泣いてしまった。親しい人に尊敬を伝えるのは、私は少し(だいぶかも)気恥ずかしい。でも伝えられるようになりたい、感謝を伝えたい。素晴らしいものを見せてくれてありがとう、と。

上映後、坂上監督が登場され、観客同士のトークバックが開催されました。普段映画をみたらそそくさ帰っていたのに、後ろの見知らぬ方たちと映画のことを話せるなんて!素晴らしい機会でした。坂上さん、シアターセブンの方、関係者の方、素晴らしい機会をありがとうございます。

明日上映予定の「ライファーズ」も行けたら行きたいな。

自分のことを自分の言葉で話してみようと思い始め、「トークバック」でおもいきり背中を押された気がしました。
だいぶ暗めのブログで申し訳ないですが、正直に綴っていこうと思います。